
国際金融市場において金(ゴールド)のドル建て価格が史上初めて1オンス3300ドルを突破した。2025年4月15日のニューヨーク商品取引所(COMEX)では6月物先物が3240.40ドルで取引を終え17、翌16日にはアジア市場で3300ドルの心理的抵抗線を突破する歴史的な節目を迎えた。この急騰は、米国の保護主義的貿易政策、中央銀行の金融緩和継続予想、地政学的緊張の複合的な作用によって引き起こされている。本稿では、金価格高騰の背景を多角的に分析し、今後の相場見通しを検証する。
歴史的文脈における金価格の変遷
金価格は2000年以降、3つの主要な上昇局面を経験している。1970年代のオイルショック期、2008年リーマンショック後の金融緩和期、そして2020年代のパンデミック後復興期である7。今回の上昇は、2024年10月に過去最高値となる2790.15ドルを記録した後9、2025年3月に3000ドル台を突破34、4月に3300ドルに到達するという急勾配の上昇曲線を描いている。
この動向を理解するためには、金価格と米国政策金利の逆相関関係に注目する必要がある。米連邦準備制度理事会(FRB)が利下げサイクルに入ると、金価格は上昇する傾向がある。複数の分析によれば、1970年代以降といった長期の利下げ局面において、金価格は平均して比較的好調なリターンを記録してきた。さらに、近年のFRBによる利下げ開始後の多くの場合、金価格は続く6ヶ月から1年程度の期間でプラスのパフォーマンスを示してきている。2024年にFRBが開始した利下げは2025年も継続され、政策金利が3.5-3.75%まで低下するとの見方が市場のコンセンサスとなっている917。
直近の価格急騰の直接的要因
トランプ政権の自動車関税政策
2025年3月26日、トランプ大統領が全輸入自動車に25%の追加関税を課すと発表したことが直接の引き金となった316。この政策は即座に中国の報復措置を招き、ボーイング機の受領停止措置などが相次いだ17。エコノミストの豊島逸夫氏が指摘するように、この関税政策はスタグフレーション(景気後退とインフレの同時進行)リスクを顕在化させ、安全資産への逃避需要を加速させた3。
米国債利回りの実質マイナス化
FRBの利下げが継続する中、消費者物価指数(CPI)の上昇率が名目金利を上回り、実質金利がマイナス領域に突入した。歴史的な分析によれば、実質金利が1%低下するごとに金価格は8.5%上昇する相関関係が確認されており2、現在の金融環境が金投資の魅力を大幅に高めている。
中央銀行の積極的な買い増し
世界の中央銀行は2024年に1,037トン、2025年第一四半期に287トンの金を購入し、外貨準備の多極化を推進している716。特に中国人民銀行は2025年1-3月期に96トンを購入し、公式保有量を2,265トンに拡大した。この動きは米ドル依存からの脱却を図る新興国中央銀行の戦略的動向と連動している47。
構造的な価格上昇要因
米ドル覇権の相対的後退
日経新聞の分析によると、米ドルの国際決済通貨シェアが2024年に58%から54%に低下する中7、BRICS諸国を中心とした代替決済システムの構築が進展している。金は「無国籍通貨」としての特性から、この通貨多極化時代のヘッジ手段として選好度を高めている37。
政府債務の持続的拡大
トランプ政権が推進する減税恒久化と軍事費増額により、米国財政赤字は2025年度にGDP比6.8%まで拡大すると予測されている216。ゴールドマン・サックスの分析モデルでは、政府債務がGDP比10%上昇するごとに金価格は14%上昇するという相関が指摘されている9。
サプライチェーンの再構築コスト
自動車関税を契機としたサプライチェーンの地域化が進展し、グローバルな生産コストが15-20%上昇するとの試算がUBSから発表されている17。この構造的インフレ圧力が金の実物需要を喚起している。
市場参加者の行動分析
機関投資家のポートフォリオ再編
ワールド・ゴールド・カウンシル(WGC)によると、2025年第1四半期(1-3月)の金ETFへの純流入額は226.5トン、約211億ドルと、過去3年で最大の四半期流入額となった20212324。ブラックロックの調査によると、機関投資家の金保有比率が平均3.2%から4.7%に上昇し、リスク分散ツールとしての認知度が高まっている4。
個人投資家の動向
日本国内では、金価格の高騰を背景に2025年も金地金の需要や買取が増加傾向にあります。例えば、コメ兵ホールディングスの2025年3月期第1四半期決算補足説明資料によれば、貴金属(主に金)の買取高は前年同期比で大きく伸長し、同社の売上高も前年同期比128.4%となっている11。また、帝国データバンクの業界レポートでも、金価格高騰によりリサイクルショップや貴金属取扱業者の業績が好調であることが報告されている19。この動きは円安進行(1ドル=158円台)と実質金利の低下が複合的に作用した結果と分析される。
先物市場のポジション動向
CFTCのデータによると、非商業部門のネットロングポジションが2025年4月時点で28万5千枚と過去最高を更新し、投機資金の流入が価格形成に与える影響が拡大している16。
主要機関の見通しと価格予測
短期見通し(2025年末)
UBSは地政学的リスクの高まりを根拠に、2025年12月までに3500ドル到達を予測17。ゴールドマン・サックスは米財政赤字拡大を考慮し、従来予想の3300ドルから3700ドルに上方修正した917。テクニカル分析では、移動平均線のゴールデンクロスが形成され、RSIが70超の買われすぎ圏にあるものの、過去のパターンから3200ドル台で支持線が形成されるとの見方が優勢である616。
中期見通し(2026-2030年)
ピクテ・アセット・マネジメントのシナリオ分析では、金価格は米国の実質金利やドルの動向、地政学リスクなどの影響を受けやすく、今後も上昇余地がある」「中央銀行の金購入が続く限り、金価格は底堅く推移する可能性が高い」「短期的には調整もあり得るが、中長期的にはインフレや地政学リスクへのヘッジとして金の役割は高まる」と指摘されている2。
下落リスクと注意点
金融政策の急転換
FRBがインフレ抑制のため利下げを中断または利上げに転じた場合、金価格は短期間で20-25%下落するリスクがある9。2024年11月の米大統領選挙後には政策の不透明性が高まるとの見方から、一部ヘッジファンドがオプション市場でプット戦略を強化している16。
中央銀行の売却圧力
国際通貨基金(IMF)の報告書によると、新興国中央銀行の外貨準備に占める金比率が25%を超えた場合、一部国が利益確定売却に動く可能性が指摘されている7。ただし、2025年4月時点の平均保有比率は14.6%であり、直近の売却圧力は限定的とみられる。
技術革新の影響
月面資源開発プロジェクトの進展により、宇宙由来金が市場に流入する可能性がある11。ただし、採算性と技術的課題から短期的な供給圧力は軽微と予想される。
現行技術では月面から1kgの物質を地球に輸送するのに約1億円のコストがかかる18。仮に金を1kg採取した場合、現行金価格(約16,000円/g)では1600万円の価値に過ぎず、採算性が非常に低い。宇宙資源ビジネスの専門家ケビン・キャノン氏が指摘するように、「月面に純金の塊があっても経済的利益は生まれない」19のが現実である。
結論:新たなパラダイムにおける金の位置付け
金価格の3300ドル突破は、単なる投機的バブルではなく、国際通貨システムの構造的変化を反映する現象である。米ドルの相対的退潮、政府債務の持続的膨張、地政学的リスクの常態化という三重の要因が、金の伝統的な役割を再定義している。短期的な調整リスクを孕みつつも、中央銀行の戦的買い増しと個人投資家の需要拡大が下支え要因として機能し、中長期的な上昇トレンドの持続が期待される。
市場参加者にとって重要なのは、金を伝統的な安全資産として位置付けるだけでなく、ポートフォリオの非相関性を高める戦略的資産として再評価することである。今後の注目点は、6月に予定されるG7首脳会議での通貨協調の行方、および米国中間選挙を睨んだ財政政策の展開に集まる。金市場は新たな価格発見プロセスに入ったとみられ、従来の分析フレームワークを超えたイノベーションが求められる段階に至っている。