
2025年4月、世界金融市場に衝撃が走った。トランプ政権による大規模な関税導入策に反応して米国債市場が異例の下落を示し、これがトランプ政権の政策決定に直接影響を与える事態となった。通常「安全資産」として認識される米国債が急落するという異常事態は、市場参加者だけでなく政策決定者にも深刻な危機感をもたらした。この事態は単なる市場の動揺を超え、米国の金融的信頼性と基軸通貨としてのドルの地位に関わる重大な問題として浮上している。
異例の事態:安全資産としての米国債の暴落
通常、世界的な経済不安や株式市場の混乱時には、投資家はリスクを避けて「安全資産」である米国債に資金を移動させる。これにより債券価格は上昇し、金利は下落するのが一般的なパターンである。しかし、2025年4月に発生した市場の混乱では、この常識が覆された。
「安全資産である国債は、通常では株価が下落する際には買われ、長期金利は下がりやすい。しかし足元では、株価が大きく下がる中で米国債も売られ、長期金利は顕著に上昇した。これは、米国資産全体への信頼感が失われ、トリプル安(株安、債券安、通貨安)が生じるという、かなり危険な状況だった」15
特に注目すべきは長期金利の急激な上昇であった。「米ブルームバーグ通信によると、週間ベースでの金利上昇幅は0・5ポイントを超え、米同時多発テロで米国債が売られた2001年以来24年ぶりの大きさ」9という異常事態に発展した。この動きは単なる市場の混乱ではなく、米国債に対する信頼の揺らぎを示唆するものとして国際金融市場に衝撃を与えた。
トランプ政権の関税政策と市場の反応
この混乱の発端となったのは、トランプ政権が2025年初頭から進めてきた積極的な関税政策である。特に4月初旬に発表された「相互関税」は、全ての輸入品に一律10%の関税を課したうえで、国・地域別に税率を上乗せするという大胆な内容だった11。
4月2日には「トランプ米大統領が貿易相手国に対する相互関税を発表したことを受け、インフレや経済成長を巡る懸念が高まった」11と報じられた。さらに4月3日には「自動車に対する25%の追加関税を発動」17し、米ダウ工業株平均は「前日終値より1679.39ドル(3.98%)下落」17するなど、世界中の株式市場に大きな動揺をもたらした。
特に日本に対しては「相互関税24%、EU超えに政府困惑」13と報じられるなど、同盟国に対しても厳しい措置が取られた。こうした一連の関税政策が、世界経済の不安定化を招き、金融市場に大きな影響を与えたのである。
債券市場の混乱がトランプ政権に与えた影響
最も注目すべきは、この債券市場の混乱がトランプ政権の政策決定に直接影響を与えたという点である。トランプ政権は4月10日に突如として「中国を除く国々に対する関税を90日間猶予する」という方針転換を発表した14。
「トランプ米大統領がほぼ全ての国・地域に対して発動した「相互関税」をめぐり一部の適用を90日間にわたって一時停止すると発表した背景には、債券市場の混乱の兆候に対する財務省内の懸念が大きな役割を果たしていた」14
さらに具体的には、「ベッセント財務長官は発表前の会合で、トランプ氏に対して、こうした懸念を直接伝えた」14とされ、トランプ大統領自身も「債券市場を注視していたことを認め、関税の一時停止を発表後、記者団に対し、市場は「非常に扱いにくい」と語った」14。
金融評論家の峯村健司氏は、「トランプ氏は「メチャクチャびびってる」」として、「株式市場、世界で数百兆円の富がなくなった。『まずい』(というのが)1つ。もう1つは国債ですね。アメリカの国債がバカバカ売られてしまって、かなり債券市場は混乱をきたした」7と解説している。
安全資産の地位に疑問符:米国債の信認問題
この異常事態は、単なる市場の混乱を超えて、米国債の「安全資産」としての地位そのものへの疑問を呼び起こした。
「トランプ米大統領が世界貿易に全面攻撃を仕掛ける中、安全な逃避先としての米国債の地位が疑問視されるようになっている」10という懸念が広がり、「特に長期債の利回りがここ数日で急上昇し、同時にドルは急落している」10という状況が発生した。
さらに注目すべきは、投資家の行動パターンの変化である。「投資家は、10年債や30年債を投げ売りするのと並行して、株式や暗号資産(仮想通貨)などのリスク資産を売り急いでいる。買い戻しが入る時も同様で、米国債はリスク資産と共に上昇する」10。これは米国債が「リスク資産のような動き」10をしているという異常事態を示している。
日本経済新聞は、この状況を「ドル信認問題、トランプ関税を機に開いたパンドラの箱」5と表現し、「米国の株式市場に加えて、米国債も売却され、ドルの為替レートも不安定な状況にある。トランプ政権下の関税政策を契機に、ドルに対する信頼性の問題が再び浮上してきた」5と報じている。
米国債務問題の深刻さと金利上昇のリスク
米国債市場の混乱がトランプ政権に与えた強い影響の背景には、米国の巨額の債務問題がある。
「現在、米国債の残高は36兆ドル、日本円で5300兆円もあります。このうち、2025年に満期を迎える国債は約9.2兆ドル。政府はこれを償還するため、新たに同額の借り換えを行わなければなりません。加えて、年間の利払い費用も約9520億ドル(約140兆円)とされており、これは国防予算に匹敵する巨額です」17
この状況から、「トランプ大統領の頭の中にあるのはアメリカの金利を何としても下げること。その理由はアメリカの財政が破産する危機が迫っているからです」17という分析が生まれている。金利上昇は政府の利払い負担を大きく増やすため、トランプ政権は金利上昇に対して極めて敏感だったと考えられる。
「米国債の償還は今後数年続きますから、可能な限り低金利に誘導しないと、巨額利払いが将来にわたって続くことになる。そういった事態を回避するため金利を下げるのに必死なのです」17
国際金融秩序への影響
米国債の混乱は、国際金融秩序全体に重大な影響を及ぼす可能性がある。米国債は世界金融システムの基盤となる「安全資産」として機能しており、その不安定化は世界経済全体にとってリスクとなる。
「信頼失墜は世界金融システムに重大な影響を及ぼし得る。世界の「リスクフリー」資産として、米国債は株式から国債、住宅ローン金利に至るまであらゆるものの価格を決定するベンチマークとして使用されている。1日に何兆ドルもの融資の担保としても利用されている」10
また、この混乱はドルの基軸通貨としての地位にも影響を与える可能性がある。「ドル安論者として知られている」6トランプ大統領だが、「それは飽くまで米製造業の国際競争力を高める点においての志向であり、基軸通貨としてのドルの地位を脅かすようなドル売りとは全く意味が異なる」6と指摘されている。
「外貨準備に占めるドルの割合はIMFによれば、2000年頃まで70%を超えていたものが、2024年末時点では60%を割り込んでいる」6という状況の中で、米国債の不安定化はさらなる「ドル離れ」を加速させる可能性がある。
関税政策の修正と今後の展望
債券市場の混乱に直面したトランプ政権は、当初の強硬な関税政策を一部修正せざるを得なかった。第一生命経済研究所の藤代宏一氏は、「米国債の値動きが不安定な状態にあると、今後予想される減税策の発表に際して、長期金利が急上昇する、もしくは減税政策を発表できないという事態を招きかねない」6と指摘し、トランプ政権の今後の経済政策にも影響が及ぶ可能性を示唆している。
「関税を引き上げ、脱グローバル化を目論む米国の姿勢に変化はないにしても、米国債の不安定を無視できない以上、その速度はトランプ政権の理想よりかはゆっくりとしたものになるのではないか」6
この債券市場の混乱は、トランプ政権の経済政策に対する「自制」を促す効果をもたらしたと考えられる。「トランプ政権に自制を迫るほど不気味であったことは間違いない」6という表現は、債券市場の動向がトランプ政権の政策決定に与えた強い影響を端的に示している。
結論:市場の反応が政策を変える
2025年4月に発生した米国債市場の混乱とトランプ政権の対応は、金融市場が政治的意思決定に直接影響を与えるという現代のグローバル経済の複雑な構造を改めて浮き彫りにした。通常、安全資産として機能する米国債が暴落するという異常事態は、米国の財政問題や国際的な信頼性に対する懸念を反映しており、トランプ政権はこの「市場の声」を無視できなかった。
今後も米国債市場の動向は、トランプ政権の経済政策の大きな制約要因として機能する可能性が高い。特に米国の巨額の債務と金利上昇リスクは、関税政策や減税政策などトランプ政権の経済アジェンダ全体に影響を与える構造的要因となっている。この事態は、世界最大の経済大国であるアメリカの政策決定においても、国際金融市場の力が無視できない重要な要素となっていることを改めて示した歴史的な事例といえるだろう。